真夜中の訪問者? (お侍 拍手お礼の三十七)

        *お侍様 小劇場より
 


 それはそれは静かな晩だ。由緒と共にしがらみも多そうな、古くからの屋敷町ということもなく、それでいてぴっかぴかに新しいということもない、よくある住宅地の奥向きにある瀟洒な一戸建て。あくまでもひっそりと平凡に暮らしたいという家長殿の主旨に、十分過ぎるほど沿った環境下にある、小ぎれいだがとりわけ豪奢な屋敷というほどじゃあない二階家は、今宵もまた、日頃と変わらぬ静謐な夜陰の只中にあり。そろそろその居場所を“未明”という時間帯へと移そうとしかかっていた頃合いのこと。

  ―― zzzzzz…。

 健やかな成長期の身を、安らかな眠りへと素直にゆだね。新しい朝がどんなに厳かに訪れても恥ずかしくはない、そりゃあ無垢な心根のまま。心身共に伸び盛りの青年がひとり、くうくうと静かに静かに寝入っていたところへと。とたとたと、結構なテンポで駆け上がって来ての迫りくる足音があり。

 “…?”

 まずは“んん?”と。何の気配だろかと拾いはしたが、まだ意識の大半は睡魔の支配下。すうと深々、現世の冴えた空気を吸い込んでから。その意識を覚醒へ、一気に引っ張り上げんとする彼の反射は、これでもかなり素早い代物であったはずだったが。彼へと寄り来る気配はその類い稀なる覚醒速度さえも上回り、そりゃあ躊躇なく駆け上がって来ての間近まで到達すると、ノックもおざなりにドアを開いて中へと飛び込んで来て。

 「…っ。」

 それへはさすがに。ベッドから身を起こして何事かと身構えたのが、何とか間に合ったものの。それにしたって向こうの速さにやっと追いついたという代物だったようで。背中を浮かせて座った状態になったとほぼ同時、飛び込んで来た相手がそのまま真っ直ぐ向かって来、

 「久蔵殿っ。」
 「…っ。」

 当然の防御として、振り払おうとしかけた久蔵の身動きが凍る。肩を掴まれたそのまま、あっと言う間に相手の懐ろへと掻い込まれ。だが、そのまま抵抗を力づくで封じられた…というのではなく、

 「………しち?」

 馴染みのある温み、大好きな匂い。頬を埋めている格好の胸板の堅さも、肩からこぼれて来ている髪の先の感触も。戯れからこうやって抱きしめてくれる時のそれと全く同じで、ただ…。

 「シチ、どうした?」

 こんな深夜に彼が、自分の元へと駆け込んで来たなんて初めてのこと。その片膝をベッドの上へと乗り上げてさせてというほどの、勢いに任せた擦り寄りようなだけでなく、

 “…こんなにも震えて?”

 嫋やかな外見に似
(そぐ)うほど、いつだって優しく、その上、それは気丈で頼もしい人。どうしたの?とこちらを覗き込んでくれるその眼差しへ、こちらからも心置きなく甘えられるのは。ただ当たりが優しげだってなだけじゃあない、凭れていいだけの頼もしさも備わっているからこそだってのに。それが…どうしたことだろか、掻い込まれた懐ろも、こちらの背中へ回された腕や手も、触れているところからありありとそれが伝わってくるほどに、その身がガタガタと小刻みに震えているではないか。

 「シチ? シチ? どうした?」

 一体 何があったやら。日頃“おっ母様”扱いで甘えてはいるものの、彼とて一端の成人男性だというのは久蔵とて重々承知。ご近所ではその美丈夫ぶりとのワンセット、菩薩様のように暖かな、慈悲深い笑みこそが有名な彼だけど。実は実は…古武術も一通り習得している身。着痩せして見えはするが、この上背に見合うだけのしっかと鍛えて充実させた体躯をしているし、それどころか、槍を振るわせれば免許皆伝の腕前で、先の寒夜にはその腕っ節を披露して、泥棒退治もやってのけてる剛の者。それだけの度胸も兼ね備え、ちょっとやそっとの相手へ怯えるなんて、まずはあり得ないことだのにと。どれほどの何が、この彼を怯えさせているのか、まるきり見当がつかなくて、
「シチ?」
 どうしたらこの震えを止められる? どうしたら七郎次は落ち着いてくれる? 何がそんなに怖いの?と、抱き込められてる立場ながら、その胸元から懸命に見上げての切なる想いを巡らせていて…ふと気がついたのが、

 “シチが戻らぬのに…。”

 彼と同じ寝間に伏してる誰かさんを、いえ、故意に忘れ去っていた訳ではないのですけれど。そちらの御主もまた、それなりの武道を修めている身。気配には敏感なはずなのに、どうして…なかなか戻って来ない彼のこと、案じて探しに来ないのか。いやそれよりも、もっと手前の大前提。自分の立場や腕っ節のほどを卑下するつもりはないけれど、それでも。何かあったとして、自分ではどもならぬと思った七郎次がじゃあと頼るのはそもそも誰だろか? その理屈から、御主の身は大丈夫と信頼した上で、久蔵を護らねばと楯になるべく飛んで来た…なんてのは、こんなに震えている彼である以上 平仄が合わなさすぎる話だし。

 “…まさか。”

 ―― 階下の寝室で何かあったその結果、
     飛び出して来ての一直線に此処へと駆け上がって来た彼だとしたら?

 一体何が原因でそんな運びになったのか。後追いする必要もなしという大喧嘩でもしたものか、はたまた無理な何をか強いたを撥ねつけられてのことであり、あちらもまた臍を曲げているから追わずにおるものか。日頃の睦まじい、若しくは だからこその気安いやり取りしか見聞きしたことはない久蔵ではあったが、根本的なところでの主従関係は堅く、その絆は果てなく強く。殊に七郎次の側からの滅私奉公ぶりは破格とさえ言えて、彼ほどの者がそこまで我を殺さなくともと、傍から見ていて歯痒く思うことさえあるくらい。無論のこと、彼をしてそうさせるだけの器量のある御主だという、紛れもない現れなのでもあろうけど、

 「…。」

 この、辛抱強くて芯の強い彼が、だのに唯一刃向かえない相手は誰だ? どんな無理でも聞いてしまう相手は誰だ? そして、そんな彼が…だってのに辛抱たまらず、逆らえない相手ならばということからの せめての抵抗、こうまで震えて此処へと逃げて来たのだとしたら?

 “………許さぬ。”

 ぎゅうと握りしめたる拳が示す、感情と意志の定まりとほぼ同時。ぱちりと、何処かの明かりを灯すスイッチの音がして。それを聞いて…誰の気配かが判ったからだろう、
「…っ。」
 こちらからも両腕で抱きとめている七郎次の総身が、ふるると大きく震えたのが、ますますのこと次男坊の推量を裏付けてくれたようでもあり。そんな二人が身を寄せ合っている二階へ向けて、

  ―― ぱた、ぱたり、と

 特に忍ばせてもいない足音が、階段を上がってくるのをこちらへと伝える。先程まではああも震えていたものが、今度は打って変わって、息を詰めるようにし、その気配を窺っている七郎次の緊張の度合いへと。久蔵もまた息をひそめて廊下のほうへと注意を絞る。彼が飛び込んで来たそのまま、ドアは開けっ放しとなっており、夜陰に慣れた眸にはその輪郭までは何とか見て取れるが、その先の様子はただの漆黒。さすがに見通すは難しく。階段の明かりは灯したが、その先の廊下くらいは勝手も判るか、暗い中をそのままやってくるらしき気配。それぞれの思惑からながら気を揃えた格好になり、二人して息を殺して待っておれば。

 「…七郎次。」

 ああやはり、聞き慣れた声だ。そうと思ったその途端、自分を抱く腕へと力がこもったの、どういう反射と解したものか。利き手の左で握ったは、背後になった枕の端っこ。その手をぶんと横へと回し、その分の遠心力だけにしては…結構な速さで放って寄越された枕の砲弾をば。的にされた側もまた、至って冷静なお顔のまんま、ぱふりと片手で受け止め、じんわりした苦笑を見せなさる。

 「何を勘違いしておるのかは、まま判らんではないが。」

 その様相ではのと。身を萎縮させたまま、その腕で…抱いてか抱かれてか、寝所の中の一人息子にひしとしがみついている連れ合いの様子を見、渋い苦笑に破顔されたは勘兵衛様で。それだけでは得心のゆく答えにならぬか、敵対心みなぎるままな久蔵からの視線を、さすがは年の功、淡々と受け流し、

 「始末はつけた。」

 そんな一言を告げられる。そちら様もまた、いわゆるパジャマのまんまという寝間着姿であり、だが、
“始末?”
 主語はともかく“何を”というのまで語られぬは端的すぎて、久蔵にはさっぱりと判りにくいその一言。だが、七郎次には十分通じたらしい。まだその身からの緊張は去らぬままながらも、
「…亡骸は?」
 そうと聞き返しており…って。はぁあ? な、なきがらって言いましたか? あなた今。
「?」
 あまりに物騒というか不吉な一言。聞き間違いではないかと、間近い母上のお顔をつい見上げた久蔵の様子こそ、勘兵衛には傑作でもあったのか、その口許の苦笑をますますと濃いものとしつつ、
「落とし紙にくるんでポリ袋に封じ、それを4度も繰り返してから、勝手口の外のバケツへ掘って投じた。」
 よって、余程ほじくり返さん限り、表へまでは出て来ぬだろから案ずるなと。そこまで言うて下さったのへ、

 「〜〜〜。」

 やっとのこと、その総身から力が抜けて。よかったよかったと、抱いたままだった次男坊をますますのこと、今度は心からの安堵の末か、さも嬉しそうに抱きしめる七郎次であり。


  ―― さて、ここで問題です。
(おいおい)


 七郎次が安堵しの、胸を撫で下ろしたは善しとして。やはり…何が何やら、ますますのこと事情が判らぬとの困惑のお顔となった久蔵へ。そのすぐ傍らへと腰を下ろし直したおっ母様と丁度向かい合うように。枕灯を灯しての、やはりベッドの端へと腰掛けた勘兵衛が、ふむと投げた視線を受けてのこと、自分のお耳をその白い双手で塞いだ七郎次であり。それを見届けてからの父上が言うには。

  ―― 二度とは言わぬぞ。
      …。(頷)
      ごきぶりだ。
      …?

 何度か瞬きをしてから、だが。ああと、素早く合点がいったらしいところは、理解が及んで…というよりも。それが最愛のお人のことだから、理屈も何もすっ飛ばしての“そういうこと”という情報が単純にインプットされてのことなのか。片や、さすがに胸を張れることではないという認識はあるものか、手を退けてもお顔がなかなか上がらないおっ母様だったりもし。
「洗面所で遭遇したらしゅうての。そのまま真っ直ぐ、手近な階段を駆け上がってしまったらしいのだ。」
 まま、誰にだって苦手はあるものよと、揶揄するでなしのやんわり微笑って下さる御主といい、
「…怖かったな?」
 最も苦手な存在、思わぬ間合いで姿を見てさぞ肝が冷えたろにと。今度はそちらから、懐ろへすりすりと擦り寄る次男坊の温みといい。お二人のいたわりの御心が嬉しいし愛おしいと、しみじみと甘受する七郎次であり。


  ―― 今宵は此処で寝ろ。
      はい?
      階下へ降りたくはなかろう?
      えと?
      一晩寝れば、怖さも少しは薄まろう。


 な?と ちゃっかり、お誘いのお声をかけながら。腕を伸ばして来てその腰へ回し、ぎゅむとしがむつく次男坊だったりし。こやつはと思いつつも、味のある目許を苦笑に細めて、それもそうかと折れて下さった御主といい。いやはや おっ母様、相変わらずに愛されておりますことvv 怖かったのもあっと言う間に吹っ飛んでの楽しげに、くすすと微笑った七郎次さんだったそうでございます♪



   〜Fine〜 08.3.01.〜3.02.


  *途中から、このまま“今”の話として書き上げると
   季節的な設定が訝
(おか)しいというか無理があると気がつきまして。
   そこで急遽“拍手お礼”としてUPすることになりました。
   大したフォローになってませんが。
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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